真珠湾攻撃! 当時のハワイは米国領ではなかった!!

1941年12月8日 真珠湾攻撃
 
ハワイは、開戦当時は、米国の州ではありません。
ハワイが米国の50番めの州になったのは、昭和34(1959)年8月21日のことです。
開戦当時のハワイは米国が力によって強引にハワイ王室を廃絶させた自治領でしたが、人口の半分は日本人でした。
そのハワイ、オアフ島に、米国は海軍基地を作りましたが、日本が行った攻撃は、その海軍基地に対してだけのものです。
もし、日本によるハワイ攻撃が侵略とするなら、米欄によるラバウル攻撃も、侵略です。
 
そもそも、です。
江戸時代の終わり頃、欧米列強は地球の陸地の35%を支配していました。
その欧米支配の脅威に対して、国論をまっ二つにしながらも、多くの血まで流して国をまとめ、統一的近代国家を形成するために大変革を行ったのが明治維新です。
日本は、明治維新を無事になしとげたからこそ、その後の近代化が起こったし、その日本が立ち上がったからこそ、世界から植民地支配が一掃されるという動きになったというのは、歴史が示す通りです。
 
ところが第一次世界大戦が始まるころには、欧米の支配地域は約84%にまで拡大していました。
その第一次世界大戦に勝利した日本は、大戦の戦後処理を行うパリ講和会議で、国際連盟の結成に際し、その連盟憲章の第一条に「人種の平等」を入れるべし、と提案しました。
世界にむけて人種の平等を高らかに謳い上げたのです。
この時代、そんなことを言い出したのは、日本だけです。
 
この提案は、は米英によって拒否されるけれど、この時点で間違いなく日本は、世界の被支配諸国の民衆にとっての大きな希望となっていたのです。
 
そしてこのことは、同時に日本が、明らかな植民地支配国からみた敵国となったことを意味しました。
方や世界の84%を支配する大国群です。
方やまだまだ貧しい国でしかなかった東亜の一国です。
日本は、全身血まみれになりながらも、必死の戦いをしました。
その結果、世界から植民地が一掃され、それだけでなく、日本という国も民族もしっかりと保持されました。
それが大東亜戦争であり、その結果です。
 
戦後のわたしたちは、ながく豊かで平和な生活を維持することができました。
世界の先進諸国のなかで、戦後68年間、戦争をまったく経験しなかった国は、日本だけです。
それがなぜ可能だったのかといえば、その理由は、昭和16(1941)年9月6日の御前会議の際の永野修身海軍軍令部総長の言葉にあります。
 
政府側陳述によれば、アメリカの主張に屈服すれば亡国必至であるとのことであったが、戦うもまた亡国であるかも知れない。
すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。
統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって目的貫遂を望むものであるが、もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるようなことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である。
 
(現代語訳)
アメリカの主張に屈服するというのは、日本が亡国の憂き目に遭うということです。
しかし、戦うのもまた、亡国であるかも知れません。
戦わないなら国が滅び、戦ったとしても国は滅びる。
けれど、戦わずに国が滅びるというのは、日本民族が、身も心も永遠に国を失うことになります。
もし戦い、護国の精神に徹するなら、たとえ戦いに勝てなかったとしても、祖国を護るという日本精神が残ります。
そうすれば、私たちの子孫は、必ず再起し、あるいは三起する。
統帥部としては、もとよりあくまでも外交交渉によって平和的解決を望んでいます。
けれどもし、不幸にして開戦と決し、陛下の大命が発せられるようなことになるなら、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟でございます。
 
日本は、まさに勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦いました。
いくたびの玉砕戦では、傷ついた体に蛆がわき、食べるものさえない中で、身を敵に晒し、果敢に戦い抜きました。
それは、祖国を守るため、後世の日本に生きる、いまを行きているわたしたちのためです。
そのおかげで、わたしたちは、戦後の平和な生活を享受できました。
 
こうして日本は、世界の植民地秩序をぶち壊し、そして戦後はいちはやく祖国の復興を遂げ、アジアへの技術援助、経済援助を行い、アジアに工業生産がはじまると、それをどんどん買い上げて、お金がどんどんその地にはいるようにしました。
日本が商品を買い上げてお金が落ちることで、独立したばかりのアジアの諸国の近代化は、さらに拍車がかかりました。
これによって、非欧米世界は、いちはやく近代化を実現し、工業化が順調に軌道に乗って行きました。
 
わたしたちは、いまの平和を享受するあまり、歴史が順調に推移したと思いがちです。
何か安全なレールの上を順調に走って来たかのように誤解しています。
けれどそこには、実は様々な試行錯誤があり、その中で、勇気をふるって決断をし、汗を流し、血を流して、時代を切り開いてくださった先輩たちがいてくださった。
わたしたちは、そのことを忘れたり、見落としたりしてはならないと思うのです!
 
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2098.html
 
(以上、小名木善行様「ねずさんのひとりごと」 より。)
 
軍事力でハワイ王国を自国のものにした米国に「正義」はあったのか?
当時、何故ハワイ王国が日本に助けを求めてきていたのか?
 
アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】
 
アムステルダム市長で、その後オランダの内務大臣に選ばれたエドゥアルト・ヴァン・テ­ィン(Eduard van Thijn)氏の言葉です。
 

 
大日本帝国海軍 空母「加賀」
 
空母「加賀」
 
空母「加賀」.2
 
F=MIsad Hisada (Japanese Navy)
 



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1 返信
  1. パパアキー
    パパアキー says:

    ハワイの王室は日本の皇室に、姫を嫁がせようとしたことがあるそうですね、当然のようにお断りしたが、歴史と伝統に少し目をつぶれば、ハワイは日本領になったかも?・・・
    本日の私の戯言です。

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