デリマ長官(PEZA フィリピン経済開発庁)との面談

久しぶりにPeza(フィリピン経済開発庁)の「デリマ長官」と面談をして参りました。

話題は、Peza登録の日系ロジスティック企業へのLGU(地方事業税)の件です。

同一グループ内の場合、此れに関しては「DTI-BOI」の方がメリットが有るのかも知れませんね・・・。

 

経済開発庁 デリマ長官との面談



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パラワン島の離島を購入、リゾート開発をスタートしました!!(当大学公認会計士グループ)

日頃から、私がたいへんお世話になっています「公認会計士グループ」が、パラワン島の離島を購入し、リゾート開発をスタートさせました!!

島は、約50万㎡ です。

白砂の素晴らしいビーチがあります!

勿論、此れが本業ではございませんので、その開発スピードは、ゆっくりしたものとなりますね・・・。

しかし、パラワン本島の方では、大型不動産開発現場への建設資材(骨材)供給事業を本格的に始めています。

(同グループでは、数年前にスービックのビーチも購入しています。)

 

パラワン離島開発5

パラワン離島開発1

パラワン離島開発2

パラワン離島開発3

パラワン離島開発4

パラワン離島購入3

パラワン離島購入1

パラワン離島購入4



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ローマ法王の来比と日本の英霊1,068柱のバチカンでの荘厳なミサ!! ローマ法王庁は異教徒との約束を果たしました!

ローマ法王 フィリピン訪問

1,068の英霊の位牌が納められた五重塔

ローマ法王フランシスコ1世が来比されていますが、実はローマ法王庁・ヴァチカンには、昭和の英霊1,068柱が祀られているのをご存知ですか?

連合国の手で「戦犯」として裁かれたABC級全ての日本人「法務死」の英霊が、世界のキリスト教カトリックの総本山ヴァチカンに、他ならぬローマ法王によって祀られたのです。

順和師は昭和五十(1975)年にヴァチカンを訪れた折に、かねてより心を痛めていた「戦犯とされた人々」の鎮魂と慰霊のために、宗教の違いを超えて願い出ました。

順和師の父であり先代座主でもあった順海大僧正は、学徒兵や殉難者の法要を欠かさず、「七戦犯の鐘」など慰霊の鐘も護持しています。

その多くがキリスト教信者であった連合国側にとって、これほどの皮肉はありません。
皮肉というよりは、勝者の驕りに対する「神の戒め」であるとも言えます。

時のローマ法王・パウロ六世に 「日本人殉難者のためにミサを」 と訴えたのは仏教徒の仲田順和師でした。

先代座主の遺志をついだ真言宗醍醐寺派別格本山品川寺(ほんせんじ)の仲田順和師の願いを、パウロ六世は快く承諾してくれました。

しかし、喜んで帰国した順和師にその後届けられたのは、法王の訃報でした。
その後を襲ったパウロ一世も急逝し、異教徒の願いは空しく閉ざされたと思われました。

しかし、その順和師の元に、ヨハネ・パウロ二世から親書が届けられたのは五年後の昭和五十五年四月、内容は「五年前の約束を果たしたい」との思いもかけぬものでした。

ローマ法王庁は、異教徒の願いを忘れてはいなかったのです!!

パウロ六世の真心に応えようと、帰国直後から作製を依頼していた五重塔に殉難者千六十八柱の位牌を納め、ヴァチカンに奉納されたのは、同年五月の事です。

醍醐寺五重塔を精巧に模した塔は、「戦犯」慰霊に共鳴した栃木県大田原市の木工芸家星野皓穂氏が、三年の歳月をかけ無料奉仕で完成させたものです。

五月二十一日には仲田・星野両氏も参列し、法王パウロ二世のもと昭和殉難者のための荘厳なミサがヴァチカンでとり行われました!!

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英霊(=国を守るために散華された特別に優れた霊)の位牌は、サン・ピエトロ大聖堂に奉納されています。
反日勢力が猛烈に批判をする靖国神社には英霊の遺骨や位牌もありません。
靖国には、御祭神(英霊)の名前が書かれた霊璽簿(れいじぼ)はありますが、それも御祭神ではありません。
御祭神は御剣と御鏡です。

神道には教祖もいないし教義もありません。
こうしなければならないという信者の義務もなければ、タブーもありません。

ちなみに、靖国参拝問題が急浮上したのは1986年!
朝日新聞が「我が国では侵略戦争を美化している、大問題だ」と書き立て、他国に対し日本を非難するように促したのが発端です!!



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お詫びとお知らせです!「FDSA航空科学技術大学」より。

FDSA航空学校 ロゴマーク
 
当極小ブログのたいへん貴重な読者様方、また当FDSA航空学校の卒業生様方・学校ファンの皆さま方へ。
 
このところ多忙にて、ブログの更新が中々思う様に出来ておりませんでした事を深くお詫び申し上げます。
 
現在、当FDSA航空学校(セブ島マクタン国際空港)への入学希望者様の大幅な急増に対応すべく、事業の拡張を進めております。
拡張は、アンへルス市のクラーク国際空港隣接地区にて無事に新校舎ビル建設工事に着工の運びとなりました。
 
TESDA(Technical Education and Skills Development Authority:フィリピン労働 雇用技術教育技能教育庁)認定及びCHED(Commission on Higher Education:フィリピン大統領府 高等教育委員会)UP(フィリピン大学)からの非常に厳しい大学認定もお陰様で無事に認可されました。
 
特にCHED査定評価に於きましては、シラバス毎の実に数万ページに及ぶ書類作成を終え、無事に大統領府・フィリピン大学から認可・認定されましてホッとしております。
 
元々当校は、単なる飛行学校ではなく、「航空エンジニアリング」を母体とした教育機関ですが、今後もその分野を中心に大学課程(学士号)として大きく拡張致し益々高度な社会貢献を目指します。
 
また、併設学科としまして、「建設技術関連」・「工業技術関連」・「農業技術関連」や「語学科」なども併設致しながら将来的に小学校・高等学校も合併して参ります。
 
過去、当校の数千名に上る卒業生様方の主な就職先は、下記の通りです。
 
・ルフトハンザ航空。(古くから当校と提携契約を頂いております。)
・シンガポール航空
・中東の各大手航空会社。
・フィリピン航空。
・セブパシフィック航空。
・ゼスト航空。
・国内外の各主要空港。
・一般企業。(国内外の主要大手メーカー様、製造業様など。)
 現在、当校の卒業生を定期的に受け入れて下さる日本国内外の企業様を募集致しております。
 当HP問い合わせボタンよりご一報頂けましたら幸甚です。
 但し、各都道府県などから「行政指導」や「改善命令」などを受けた(受けている)企業様はご
 遠慮下さい。
 当地からの送り出しは、当校グループ会社(POEA認定会社)が正規な手続きにて送り出し申し
 上げます。
 (此のグループ会社では日本国内の大手エンジニアリング企業からキャド設計も請けています。)
・また現在、国外の大手重工業様・大手商社様との提携のお話しも進んでおります。
 
尚、当校HP(ウェブサイト)も新規製作中にて数ヶ月後には完成の予定です。
 
以上、お詫びと共に現況のご報告、今後のお知らせでした。
 
今後とも当「FDSA航空学校」と新しい「FDSA航空科学技術大学」を引き続きまして何とぞ宜しくお願い申し上げます。
 
FDSA航空学校 / FDSA航空科学技術大学
 
久田信良(大学創設者)
 
フェイスブックは此方です
 
此方もフェイスブックです。
 
此方は「英語版」の旧校紹介サイトです。
 
名誉の受賞!
 
(2013年 フィリピン大統領府及びTESDAより当校の26年間に及ぶ航空産業と人財育成への貢献に対しまして名誉の表彰を受けました。)
 
FDSA航空学校 名誉の受賞!
 
mitsubishimrj_905
 



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病死した教師が、生徒に残した「最後の宿題!」

ネットで何度となく話題になったこの黒板を写した1枚の写真。
 
とある学校の病気で亡くなった教師が、生徒に向けて残した最後の宿題です。
 
最後の宿題
 
「幸せになりなさい」
 
君たちが宿題を出す頃に
 
おそらく僕は天国にいるでしょう。
 
急いで報告に来るな。
 
ゆっくりでええから。
 
いつか面とむかって
 
「幸せになったで」と
 
きかせてください。
 
待ってるで。
 
生徒たちの心の中では、この黒板の文字は一生消えないことでしょう。
 
こんな先生と出会えるなんてうらやましい限りです!

 
http://grapee.jp/5104
 
(以上、grapeより。)
 
学生時代を懐かしく想い出してしまいます!
私の場合は、叱られてばかりでしたが・・・良い先生が沢山いました。

 



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試合後 ピッチに座り込む長友を慰めるグアリンらコロンビア選手!!(日本・コロンビア戦)

親日コロンビア友情!
 
試合後、ピッチに座り込む長友を慰めるグアリンらコロンビア選手!!
 

 
これが真のスポーツ精神ですね!!
 
どこかの国のスポーツ選手などとは雲泥の差です!!
 
頑張れコロンビア!!

 
母国コロンビアの勝利に大喜び!の南米コロンビア嫁ですが、日本も大好きなので複雑な気分だとか・・。
コロンビアは純粋に親切な人々が多いです。

 
南米嫁
 



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北京フォーラム 「最も尊敬集める国は日本だ!」 米元高官が反撃!! 

反韓デモ!
中国政府系シンクタンク、中国社会科学院日本研究所の李薇所長は22日、北京市で開かれた「世界平和フォーラム」の分科会で「日本政治は急速に右傾化しており、日本がアジア太平洋地域を緊張させ不安定にさせている」と述べ、安倍晋三首相を批判した。
 
分科会に参加した西原春夫・元早大総長は、戦後レジーム(体制)からの脱却を悲願とする安倍首相に対し大多数の日本国民が不安を感じているが「安倍首相は絶対に日本をかつての侵略国家にしようとは考えていない」と反論した。
 
傍聴していた米知日派のアーミテージ元国務副長官も「中韓両国以外での世論調査では、最も尊敬を集めている国は日本だ!」と日本の国際貢献への姿勢を評価した。
 
韓国の柳明桓元外交通商相は「米国は、安倍首相の歴史認識問題について傍観者の立場を取るべきではない」と指摘した。
 
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140622/frn1406221642005-n1.htm
 
(以上、zakzakより。)
 
反支那デモ!
 



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麻生先生による「日本の借金」の超わかりやすい解説! 「経済をわかってない奴が煽っているだけ!!」

麻生先生3
 
1000兆円の大台も近づいてきた日本の国債残高にマスコミは「日本が破綻する」と騒ぎ立てますが、経済通を自任する自民党・麻生太郎大臣はこれを完全否定。その理由を、誰もが理解できるわかりやすい例えを持ちだして解説しました!
(この動画は2010年に撮影されたものです)
 
「ギリシャのようになる」は完全に間違っている!
 
麻生太郎氏(以下、麻生):マスコミが世の中へ流し、多くの人が信じている間違った話が一つあると思います。
それは、日本という国が破産する、って話。
これは簿記っていうものの基本がわかってない人がしゃべって、わかってない人が書いて、わかってない人が読んでいるから、いよいよ話がわからなくなっているんだと思います。
今からわかりやすく例を説明するから、よーく聞いといてくださいね。
 
帳簿っていうのを見れば、まず借り方と貸し方と、二つがあるでしょ、簡単なこと言えば。
今お金を借りているのは、みなさんじゃありませんからね。
お金を借りているのは、政府です。
お金を100借りていれば、必ず、100貸している人がいないとおかしい。
帳簿って言うのは左と右が必ず揃うことになってますから。
 
100借りてる政府がいれば、100貸している誰かがいる。
誰が貸しているんです? そうです、国民が貸しているんだね。
ところが新聞を見てごらん、「子どもや孫に至るまで一人700万円の借金」……違うでしょう。
700万円の貸付金が起きているんですよ、あれは。
貸しているのはみなさん。
 
「いや俺、国債なんか買ってないよ」と言われるかもしれませんが、みなさんはお金を銀行に預けておられる。
銀行にとって預金は借金ですから、帳簿の上では借金ですからね。
だからその借金を誰かに貸して、その”さや”を稼がないと金貸しという商売は成り立ちません。
銀行って聞こえはいいですけど、金貸しをやっているんですから。
金を借りる人がいてくれない限りはあの職業は成り立たないんだから。
 
ところが今、みんな借りない。
誰もお金を借りようとしない。
少なくとも、預金する人は多いけれども、借りる人がいなければ銀行は潰れてしまう。
その借りてくれる人を探している金が年間約30兆円くらいある。約30兆。年によって違うけど。誰かがそれを借りてくれない限りは30兆でデフレになりますから、それを借りてくれているのが政府。政府が借りて、みなさんが貸してるの。
 
みなさんが貸してるってことは円で貸しているんだからね。
円で貸しているのよ。
日本の国債の94%は日本人が買ってます。
残り6%は外国人が買っているけれども、その人も円だけで買っているから100%円で賄われていると思ってください。
 
「ギリシャと同じになっては大変だ」ってまだ叫んでいる元財務大臣経験者の方がいらっしゃいますが、ギリシャは、ギリシャ発行の国債のうち、ギリシャ人が買っているのは3割です。
残り7割は、ギリシャ人が買ってくれなくてしょうがないから国債相場に出す。
国債市場はお金持ちがみんな、「ギリシャ人や政府は信用できない」って眉に唾付けてみてるもんだから、誰も買わない。
 
だからギリシャはその金利を上げにゃいかん。
ちなみに現在は13%。日本は0.9%から1.0%です。
13倍から15倍違うんですよ。
したがって、日本という国は間違っても、日本の政府が借金しているのであって、みなさんが借金しているのではない。
 
それと、当然円で賄われているから、いざ満期になったときどうすればいいかって、日本政府がやっているんですから、日本政府が印刷して返すだけでしょうが。
だって日本円なんだから。
簡単なことだろうが。
外国に返すんだったら、そりゃドルに替えにゃいかんよ、ユーロに替えにゃいかん。
ギリシャはみんなそうです。
(日本は)全然違います。
だから返さなくていい。
 
旧大蔵省とマスコミが煽っているだけ!
 
麻生:いやしかし、そんなこと言ったって「財政が破綻する」と大蔵省が言ってます、っていうけれども、15年前、武村正義という人がいて、いや、まだ生きておりますが、時の大蔵大臣、細川内閣で働いておられたんだが、「財政破綻宣言」っていうのを言ったんですよ。
 
その時日本のGDPは500兆です。
今とほとんど変わりません、500兆。
いいですか。
その時の国債発行高は450兆だった。
今は900兆ですからね。
あの頃は今の半分よ。
稼ぎは500兆、変わらず。
でも破綻してないじゃない。
 
しかも金利はどうだ。
あの頃は3.2%ですよ、確か。今は1%、おかしいじゃない。
会社の内容が悪くなったら金利が上がるのが当たり前だろ。
なんで日本だけ下がるの。
世界中で内容がいいんだって評価されてるからだよ。
 
大蔵省がえらく危機感を煽ってみたり、新聞はわけのわからない政治部が経済をわかったつもりで書いてみたり、それをまたわかったつもりで読んでみたりする人がいて、話がどんどんどんどんエスカレートしているけれども、現実問題、金利は下がっとる。
上がる上がるって言い続けて20年間ずっと下がったよ。
ほとんどずーっと下がったね。
 
それが日本という国の持っている力ですよ。
みなさんの力だよ、これ。
政治家の力でも何でもない。
国債マーケットが決めているんだよ。
こんな景気が悪いのに円が上がるって、他の国の通貨が悪いから、他の国の経済がもっと悪いからこうなってる訳で、ぜひその辺をもっと考えて。
決して悪くない。
これだけは頭に入れて、少なくとも。
 
日本国債の現状は”家庭内での貸し借り”と同じ!
 
麻生:家庭で考えればわかりやすいよ。
父ちゃんが「会社で困ってるんだ。母ちゃん金貸してくれ」って母ちゃんに言って、母ちゃん金利とるか? 
なかなか父ちゃんに貸した金って取り立てもしにくい。
そんな具合。
だって郵便局にお金預けて、その郵便局が国債を買っているのだって、相手が国なら同じことでしょう。
左のポッケから右のポッケに入れ替えたって。
 
世界中はそれを知っているから「あいつら円だけでやっているんだろう」ってみんな思っているんです、世界中でこういうことやってる人は。
だからいくら「大変だ大変だ」って言ったって、世界中は日本の国債を買いたがってる。
金利がこんな安いのに。
 
そして円は、ついこの間まで240円だったんだ。
今は83円、4円5円(当時)。
えらいことですよ。
そういうぐらいになったくらいからじーっと持ってたら、そりゃどんどん値打ちが上がっていくんなら、外国人は円持ってた方がいいもん。
高くなるんだから。
そういうことを計算して、世界中のお金持っている人はお金を動かしている。
 
ぜひ、そこのところだけ頭に入れておいてもらうと。
帳簿に例えるのと、母ちゃんから金借りる話と、これくらいに因数分解してわかりやすく話せば、だいたい分かってもらえるんじゃないかと思っているんですけれども。
 
(会場拍手)
 
http://logmi.jp/14626
 
(以上、logmiより。)
 
麻生先生2
 



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セルビア「日本はいつも助けてくれた!」 震災時 セルビアからの支援が凄かった!!

親日国家セルビア!.2
 
東日本大震災以後、世界中の国々から多大な支援をいただいてきましたが、いち早く支援に動いてくれた国の1つが、セルビアでした。
セルビアは平均月収が5万円に満たず、失業率も20%以上と、決して経済的に恵まれている国ではありません。
ですが震災直後に国内で支援の輪が広がり、1か月後には義援金が2億円に。
それから数ヶ月もの間、欧州で最大の義援金を送ってくれていた国でありました。
 
そんなセルビアが今、100年に一度と言われる大洪水の被害に見舞われています。
5月中旬、3日間で3ヶ月分の雨量の雨が降った事でセルビア各地の河川が氾濫し、国内のほとんどの農地が壊滅状態になるなど、大変な被害になっています。
先月末に算出された被害の暫定値は27億2000万ドルで、これは同国のGDPの7%に相当する数字であるそうです。
 
震災時にセルビアから寄せられた支援も、現在見舞われている洪水も、あまりメディアでは取り上げられないのでなんとか記事にしたかったのですが、震災直後、ネット上でもセルビアの方が支援の輪を拡げる活動をしてくださっていたので、当時セルビアから日本に寄せられていた励ましの声をまとめてみました。
 
※支援を呼びかける投稿者さんが途中で大笑いされているのですが、「Support from Serbia」を音声翻訳したところ「セルビアは物凄いマシン」と
現地語に訳されてしまったため、思わず笑ってしまったようです。
 
OMOIYARI セルビアが日本へ思いやり
 

 
以下は、コメントです。
 
■ もう既に沢山の人が日本に義援金を送ってるよね。
  250万ドルだって。物凄い金額になってるよね。
   

■ 困難な状況にある日本を、セルビア人が力を合わせてサポートしていこう。
   

■ 最初にニュースで知った時は、そんな深刻な状況じゃないって感じだったのに……。
  だからあまり気に留めてなかったんだよね……。
  被災者のことを思うと、本当に心が痛む……。
 

■  みんな、全力で日本をサポートしていこうぜ!
 

■ 厳しい状況にあっても強くあり続ける日本の人達をリスペクトしてます……。
 

■ 日本は世界最高の車を作り出す国。俺もサポートするよ 😀
 

■ 俺も今から、寄付を呼びかける動画を作ってみようかな。
 

■ 日本を助けたいっていう気持ちはいいことだと思うよ。
  俺だって日本で起ってしまったことを悲しく思ってる。
  だけど同じように地震の被害にあったクラリェヴォの事ももっとさ……。
  メインストリートはまだ再生できてない状態なんだから。
  誤解しないでくれよ。俺も自分のやり方で日本を支援するつもりだ。
    
 (※2010年11月3日にセルビア中部の都市クラリェヴォでM5.4の地震が発生。
   建物に大きな被害をもたらし、2名の犠牲者が出た)
 

■ マグニチュード9以上の地震なんて誰も体験したことないよね。
  あの先進的な国がツナミに襲われ、原発の問題を抱えてしまったのは悲しい :/
  日本に幸運が訪れますように。神のご加護がありますように!
 

■ 地震の被害に遭った日本のことを思うと悲しくて仕方がない。
  皆で協力して日本を支えていこう。
 

■ 日本って実は、コソボの独立を認めてくれた国なんだよね。   
 

■ 俺も動画を作ったりとか、自分にできることをやってみる!
 

■ 日本で起ったことを皆にも気にかけて欲しいっていう君の意志は素晴らしい。
  その気持ちがあってこの動画を作ったわけだからね。
  だけど、こんな悲劇があった時に馬鹿笑いしちゃやっぱ駄目だよ。
 

■ 投稿者を非難してる人はなんなの?
  そういう人は、日本を助けるために何か行動に移したのか?
  少なくとも投稿者は、こうやって行動に移してるぞ!
 

■ 「セルビア カラ ノ シエン」が正しいね……。
  だけど、日本を支援する素晴らしい方法だと思うよ。 
 

■ マケドニアからも日本の兄弟をサポートさせていただきます。
 

■ 日本の兄弟たちはきっと大丈夫。
  原発の問題だってどうにかしてくれるさ 😀
 

■ 投稿者は笑い過ぎだろ 😀
  でもそうだ。セルビアが日本を支えていこうぜ!
 

■ クロアチアも、セルビアも、ボスニアも、マケドニアも、
  俺たちは全員で日本をサポートしていくつもりだ。
 

 
■ 俺たちは日本が大好きなんだ。
  ドラゴンボールももっと作ってくれなきゃ困るしな!  
 

■ こうやって、自分に出来ることを考えて行動を起こせるのは素晴らしいね。
   
  

■ セルビアは日本を支援します。共に前に進んでいこう……。
  自分も50ディナール寄付させていただきました……。
 

■ クラリェヴォが地震の被害に遭った時は、支援してくれてありがとうございました 🙂
 

■ 自分の誕生日に地震が起ったから本当に辛かった。
  日本は、私の母校を修復してくれた国なんだよね。
 

■ 日本には俺たちがついてるからな!
 

■ 日本が大好き。セルビア人として、最大限の敬意を表します! 
 

■ セルビア人として言わせてください。
  あなた達は、今まで沢山の事を私達にしてくれました。
  だからこれは、恩返しの始まりですらないんです :/
  ”がんばってください! <3"   ■ セルビアから日本に愛を送ります。あなた達は素晴らしい!   ■ 日本がセルビアにしてきてくれたこと、その全てに感謝します。   君たちは見返りを求めずに、いつもいつもセルビアを助けてくれた。   ■ いついかなる時でも、僕らは日本のそばにいるからね。   現在セルビア大使館が寄付を受け付けております!
 
セルビア共和国大使館ホームページ : http://www.tokyo.mfa.gov.rs/jpn/importanttext.php?subaction=showfull&id=1400465356
 
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1199.html
 
(以上、海外の反応より。)
 
親日国家セルビア!
 



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蛍になって帰ってきた!!

宮川三郎少尉
 
宮川三郎少尉2
 
今日は宮川三郎少尉のご命日です。
 
6月6日は、宮川三郎少尉のご命日です。
宮川少尉といえば、知覧航空基地から特攻隊として飛び立ち、ホタルになって還ってきたというお話で有名です。
以下は、そのホタルが還ってきた富屋食堂の鳥濱トメさんのお孫さんから直接伺ったお話です。
 
トメさんは、お孫さんたちにも、当時のことをよく語って聞かせていたそうです。
 
特攻作戦は、知覧を始め、宮崎の都城など九州各地や、台湾の航空基地からも出撃していますが、なかでも知覧が本土最南端であったことから、陸軍の全特攻戦死者1,036名のうち、半数近い439名が、ここから出撃されました。
 
富屋食堂は出撃前の特攻隊員たちの憩いの場でした。
トメさんは、隊員たちから母のように慕われていました。
ですからトメさんは、出撃されたおひとりおひとりのことを、全員分、まるで昨日のことのようによく覚えておいでした。
なかでも宮川少尉のことは、とても印象に残っていて、何度も何度も聞かされました。
 
宮川さんが知覧に来られたのは昭和20(1945)年5月の終わりごろです。
宮川さんは新潟の人で、雪国の人らしく色白でハンサムな方でした。
 
宮川さんは、知覧に来る前、万世飛行場から一度特攻に出撃しています。
しかしこのときは機体が故障して、引き返しています。
「自分ひとりだけが生き残った」
そのことを宮川さんは大変気にしておられました。
 
ようやく代わりの飛行機がもらえた宮川さんは、出撃する前夜の6月5日に、一緒に出撃する仲よしの滝本恵之助曹長と二人で、富屋食堂にやってきました。
二人は、「明日出撃です」と、ごきげんでした。
そしてその日は、ちょうど宮川さんの20歳の誕生日でした。
 
トメさんは、宮川さんのために、お赤飯を炊いてあげていました。
二人はお赤飯を、おいしいおいしいと召し上がっていました。
その帰りがけ、宮川さんが、突然、気がついたように言ったのです。
 
「おばさん、俺、明日も帰ってくるよ。ホタルになってね。滝本と二匹で。だからおばさん、追っ払ったらだめだよ」
まるで、冗談のような口ぶりでした。
トメさんは、食堂にくるときどこかでホタルでも見かけたのだろうと、そのときは気にもとめませんでした。
 
翌6日は、どんより曇った日でした。
この日は総攻撃の日で、朝から特攻機がどんどん飛び立ちました。
トメさんも見送りに行きました。
 
その日の夜のことです。
出撃したはずの滝本さんが一人でひょっこり食堂にやってきました。
 
二人は編隊を組んで飛び立ったのですが、どうにも視界が悪い。
そのため、何度も滝本さんは宮川機の横に並んで、
「視界が悪い。引き返そう」と合図を送ったそうです。
 
けれど、宮川さんはその都度、手信号で、「俺は行く。お前は帰れ」と合図しました。
何度か目の合図のあと、滝本さんは引き返しました。
宮川さんは、そのまま雲の彼方に消えていかれました。
 
滝本さんは、その話をされながら、
「宮川は開聞岳の向こうに飛んで行ったよ」と言って、涙をぽろぽろとこぼしました。
 
夜の9時ごろです。
食堂には、トメさんの娘さんが二人と、滝本さん、奥の広間には、明日出撃予定の隊員たちが7〜8名いて、遺書を書いていました。
 
トメさんは、なんとなく不思議な気持ちになって、食堂の入り口の戸を、すこしばかり開けました。
すると、それを待っていたかのように、一匹のホタルが、ふら〜と食堂にはいってきて、天井のはりところに、とまりました。
 
それは、とても大きなホタルでした。
大人の親指くらいの大きさがありました。
ホタルの季節には、まだ少し早いです。
そんなに大きなホタルがいること自体が、不思議です。
 
そのとき、娘の礼子さんが、「あっ、宮川さんよ。宮川さん。ホタルになって帰ってきた!」と叫びました。
 
滝本さんもびっくりされた様子でした。
トメさんは、みんなに言いました。
 
「みなさん。宮川さんが帰っていらっしゃいましたよ!」
 
その場にいた全員で、何度も何度も「同期の桜」を歌いました。
涙がとめどなくあふれました。
ホタルは長い間、天井のはりに止まっていました。
歌が終わったとき、ホタルは、すっといなくなりました。
 
宮川少尉は、新潟県小千谷市出身で、旧制新潟県立長岡工業高等学校を首席で卒業し、昭和18年10月に明治神宮で行われた第一陣学徒出陣壮行会にも参加された方です。
トメさんは、戦争が終わったあとも、こうして出陣され知覧を飛び立たち散華された特攻隊員達のために、もとの知覧基地に、一本の墓碑を立て、そこに来る日も来る日も、毎日お参りされました。
 
毎日です。自宅からその墓碑まで歩くのに、足の悪いトメさんは、片道に30分もかかりました。
その道のりを、暑い日も寒い日も、毎日お参りされました。
 
雨降りなどは、たいへんです。片手に杖をつき、片手にお線香を大事そうに抱えてお参りに行っていたのです。
両手がふさがっているため、傘を持つことができません。
なのでトメさんは、雨が降ると、ずぶぬれになってお参りしていました。
 
そのトメさんが、お孫さん達に、繰り返し語ったことがあります。
それは・・・・。
 
特攻隊のみなさんは、みんなとっても「思いやり」のある子たちだったんだ。
あの子たちが行ったのは、軍の命令だから逝ったとか、そういうことじゃなかったんだ。
あの子たちはね、故郷にいる親御さんや、兄弟の方々や、妹や大好きな人たちを守ろうとして、旅だって行ったんだ。
 
誰だって、死ぬのはこわいよ。
そのことは、昔の人もいまの人も、なんにも変わらない。
あの子達だって、こわかったんだ。
 
でもね、あの子達は、みんなを守るため、自分の命を犠牲にしてでもみんなを守りたいっていう「思いやり」の心があったんだ。
私はね、出撃した全部の隊員さんたちを知ってるよ。
ぜんぶ、私の子供たちだったよ。
 
あの子たちはね、人を、故郷を、大好きな人を「思いやる」心があったから、自分の命を犠牲にしてでも、まわりの人たちを守ろうとして出撃して行ったんだ。
 
知覧基地で、特攻に行く隊員さんたちは、全員、三角兵舎と呼ばれる建物の中で寝起きしてました。
その三角兵舎は、松林の中にありました。
 
戦争が終わると、その三角兵舎は、全部取り壊されました。
何年も経ってから、トメさんの娘さんの礼子さん姉妹と、まだ幼かった(このお話を聞かせてくださったお孫さん)たちみんなで、その松林に行かれたそうです。
 
ふと眼にしたのは、その松の木の一本一本に刻まれた文字でした。
そこには、亡くなられた特攻隊員さんたちが、ご自分で掘ったのでしょう。
筆跡の異なるお名前が、いっぱい刻まれていたのです。
 
それを見たとき、わかったそうです。
彼らだって、死にたくなかった。そして、俺たちが、生きて、呼吸してて、ここで寝起きして、生きていたことを、決して忘れないでくれ!
その木に刻まれたお名前のひとつひとつに、そういうメッセージが込められているのだと。
 
そのことに気付いたとき、その場に居合わせた全員が、声を絞り出すようにして泣きました。
 
戦前の日本にあって、戦後の日本にないもの。
その最大のものは、互いの「思いやり」の心なのかもしれません。
 
自分の全知全霊をかけて、ときに自らの生命さえもかけて人を思いやる心。
私達の、日本の心を取り戻す戦いというのは、そういう「思いやりの心」を取り戻すための戦いなのかもしれません。
 
日本人は、
10年で、日本の国体を抜本的に改革し
20年で、清国を破り
40年で、大国ロシアを破り、
80年で、世界を相手に戦って欧米の植民地時代を終焉させました。

 
10、20、40、80という数列からしたら、次にくるのは160年目です。
160年目というと、平成37(2025)年です。
 
おそらくそのときに日本が、日本人が世界に示すもの。
それは、おそらく国と国、そして個人と個人がそれぞれに、互いに対する思いやりの心をもつことを、世界の普遍的な標準にすること、なのかもしれません。
 
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鳥濱トメさん・特攻の母
 



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